広島平和活動 HPS 国際ボランティア ブログ

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お盆に考えさせられる
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    その内1人は赤の他人血の繋がりが全くないのに親子三代に和田って私を大事ににてくれた。
    先ず先代の里田寅吉お爺さん、戦前の家の隣にすんでいて私が物心ついた頃から可愛がってくれた。私を肩車して毎朝新天地にパンを会に行のが日課だった。ハワイ帰りのハイからさんとの近所では言われたいた。わたしはほとんどそこで一日をすごし因るも私の布団や枕、寝巻き迄一揃い用意されていた家は旅館で忙しいためだと言うが、弟や妹は全預かることなく私だけを家族全員で可愛がったくれた。私が小学校に入ると、父の実家に縁故疎開、その一家は飛渡瀬に別々になった。その後原爆で私達は浅原へ会えなくなった暫くして寅吉お爺さんがなくなった。廣枝、ひろえとと呼びながら亡くなった。遺言で私の嫁入りにタンスを一揃い買ってやってくれと言い残したと言うそこで私の枕を棺桶に一緒にいてたと聞かされた。そのおばあさんが今度は可愛がり娘さんは学校の先生だった。夏休、冬休みに私を迎えに来てつれた帰り1週間ばかりでまた送ってくれる。昔はなんとも思わず迎えにこられると喜んでついていった。
    その経路もはっきり覚えてる。浅原からバスで廿日市迄廿日市から郊外電車で西広島、そこからしない電車で宇品港へそこからポンポン船。当時はしだて丸、と千代の丸と二船いた。いずれにしても切り串、小用、秋月、飛渡瀬に着くのは日がたっぷり暮れた夜だった。

    その愛情に頭が下がる他人子供に違いないのにそこまでして私のお墓参りをさせてくれて美味しい物をたくさん用意してもてなしてくれた、一族のことをこの愛情はどうして継続出来たのだろう。おじいさんおばあさん、娘さん、孫三代に渡って愛しんで貰ったこのご恩返したくっても、今お墓に名前が刻まれているだけ懐かしんで手を合わせるしかすべわない。
    有り難うございます。私も心を共にする子供達に愛情を注いでいきます。
    誤字があったらごめんなさい。クリーンキャンペンにいってきます。
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