広島平和活動 HPS 国際ボランティア ブログ

我々の活動を、できる限り報告していきたいと考えております。最終的には、本ホームページhttp://hps.cx とリンクさせたいと考えてます。
お早うさんです
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    月にのたつのは早いものと言いますが、本当に早いものですね。

    何時からこんなに感じるようになったのでしょう。

    きっと年のせいかも?

    あれこれとやることが多く、体も、頭も思うようにならないから、仕事に追われる

    毎日をお来るのでしょうね。

     

    頭が敏感に回らなくっても、体が重たくなっても、やらねばならぬ事がある

    いいややりたいことが山ほどある

    だから追われる毎日の中でも、子供たちの力になりたい、5月の13日には[本の

    あらかじめの編集が終わり、構成の段階に入ります。

    5月の20日までに完成させ、25日には印刷会社にデータ―を搬入、1週間で

    構成が出来、了解すれば615日までには完成、教育委員会へ,各く学校への

    配布は6月末か、7月初め、平和学習に間に合う夏休み前には配布済みの予定

    きっと毎年の事なので予定どうり行きそうです。

     

    しかし出版記念をどうしたらいいか頭が痛いところです、

    今年は私が始めた広島市民平和の集いも30年になります、

    それと合わせてやることも、慰霊一輪献花も15年1万5千本達成の年でもあり

    また本の出版も10周年に、様々な行事が重なり頭を▽□にして頭をひねって

    一番いい方法を考えています。」

     

    継続は力なりと言いますが節目が重なるとこれも大変

    しかし良くもまあぶれずに思いのままに突き進んできたと・・・

    自分をほめたり、あきれたり

    | 平和 | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
    展覧会も半分過ぎました。
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      展示は無事済んでも11日間の会場の受付、案内にと気使っていましたが、

      何とか無事に半分済みました。

      当番のスタッフが本当に気配りして努めてくれていて安堵しています。

      支えられる喜びと来館して下さる皆さんに感謝しながら毎日会場を見守っています。

       

      人は一人では何もできないが行動を起こせば同志が集まり支えて下さるのですね。

      私はいつもわがままを通し未知の世界を歩いていますが、振り返ると沢山の方々に

      支えられているのですね。感謝、感謝、感謝あふれ出るほど

      感謝の気持ちでいっぱいです。人間に生まれた喜びを身体前進で感じてます。

       

       

      | 平和 | 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
      お早うございます
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        今朝の目覚めに

        人生で朝の目覚めに

        やることが待ってる

        いややらねばならぬ事がある

        手足が、わが身が思いのままに動く

        有難いことだ

        感謝の気持ちがこみ上げてくる

        何が」なくてもこの幸せを誰が知る

        ヒロシマに生きて

        被爆者として

        やりたいことに情熱をかけられる

        この喜びに勝るものなし

        命の限り燃えつくせと歌いながら今朝も家を出る

        | 平和 | 09:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
        ご無沙汰体調が悪くなかなかパソコンが開けません
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          子どもたちは着々と進めています。

          私の方が追いつくために明日は市民交流プラザ―で根を詰めて仕事をします。

          雪が降ろうと寒かろうともうわがままは出来ません。

          英文が2月中に終わらないと後の編集ができません。

          明日で私たちの思いや、活動記録を終わらせ本当の意味で若者に継承し、継続の

          夢を託したいものです。

          私共の平和活動も今年で独立して30年になります。

          NPO設立2005年法人としても13年になります。

          月日の流れるのは本当に早いもので私も今年で80歳になります。

          そろそろ後継者を育てたいこれは私の悲願でもありました。

          幸い7番目の孫か編集長を務めスタートした本の制作も。7番目の孫が3冊、

          9番目の孫が1冊、15番目の孫が中学生から手伝い昨年今年で2度目の編集長を

          務めてくれます。

          もう1年この子が頼れますが来年からはパソコンの使える学生を探さないと、

          編集の仕事は大変なのでどう探せばいいのかやはり宿題多いい。

          編集、構成が出来る学生を探す事が私に課せられた責務です。

          それが出来て初めて験続、継承の道が開ける。

          編集の出来る専門学校の生徒さんを探さねばならない、きっと1年以内に

          見つけ出さないと:::ガンバ、ガンバです。

          | 平和 | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
          夕べ母の夢を見ました。微笑みながら私を
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            語りかけようとすると目が覚めてしまい何も話すことは出来ませんでした。

            時計を見ると何と6時半、数カ月ぶりに何とお風呂上がりから朝まで一度も起きず

            熟睡しました、疲れもあったのでしょうが張りつめていたお正月行事が終わったせ

            いもあったのでしょう。

            今また母の言葉が聞こえてきて私を励ましてくれます。

            天国に召されて33年もたっても私は今も母と二人三脚です。

             

            広枝欲を捨てなさい、欲張って財産を蓄えても、お金を残しても、お前に分が

            無ければお前の身には付かないきっと失敗するか、だまされるかお前の見には

            付かない、私は必死で口答えした。お金がないのは首がないのと一緒だと

            我が子を自分が育てないで誰が育てるがむしゃらに働いた時代がある。

            その時の母の淋しそうな顔が脳裏にこびりついてる。

             

            今少しにっこりほほ笑んでくれたには私も母の期待する生き方が出来る

            様になったのかなー

             

            でもまだまだ。

            欲を捨てて人間らしく生きてくれ、

            私はこの問いに納得のいくまで答えを見つけるまでひたすら平和公園に立つ。

             

            私が今この公園たち続ける事が出来るのは3度の苦難に襲われたからだと思う

            小学校1年生の時原爆で一家は丸裸。6年生の時ギジヤ台風で家ヤ田んぼを

            流されすべてを失っただけでなく実りの秋を目の前に土砂で埋め尽くされた

            裸になる以上に残酷な被害、命は消防団のおかげで助かったものの,真の絶望

            を味わつた。

            母が亡くなった後バブルの波に乗り遅れ事業に失敗本当のどん底に落ちてしまった

            そこですべての気力を失い生きる力が付き死にたい病に取りつかれた。

             

            その時長男に助けられ今がある。

             

            何時の日か私の人生、生きざまを残しておきたい時間があれば:::

             

             

             

             

             

             

             

            | 平和 | 07:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
            森本順子先生の死は私を色んな世界へ連れて行く
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              今子供たちとヒロシマから世界への新しい本をの新プロジェクトを立ち上げ

              すべて子どもたちに任せるつもりでしたが。

              森本順子先生の約10年間、脳腫瘍に戦いながら最後まで頑張りぬいた姿が

              どうしても瞼から消えない。

              子どもたちに半分は任せるとして、やはり私が尊敬してやまない被爆者として

              絵本作家、画家また平和活動家として最後まで貫かれた生きざままた私の師匠と

              して指導を受け、共に歩いた事を紹介することも私の務めだと思い、

              故人を偲びその功績の一部でも紹介しその意思を受け継いでいく決意を、同志や

              学生たちと共に誓いヒロシマの心を世界へを実現したい。」

              私は近いうちに会合を持ち半分は順子先生の為に私が原稿を書く承認を得たい。

              これが文字の大切さを教えて下さった先生への供養であり恩返しと思う。

              先生の悔しい思いは私が一番よく知っているから。

              ガンバつて文章を書いてみる、会合までにせめてあらすじは作りたい。

               

              | 平和 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
              今日いい言葉に出逢いました
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                マザーテレサの言葉に

                     『私たちは大きなことは出来ません

                          小さいことを大きな愛を持って行います」

                あるところで壁に掛けられたこの言葉を見た時たとき宗教家で会っても最後テレビで

                国内だけでなく世界中から大勢の人々が見送る葬儀を見ました。偉大な人だと宗教には

                関係なく思わず私も手を合わせたものです。

                あれから数十年この今日この言葉に出逢い素晴らしい言葉だとご本人の人柄に感服

                私たちも大きな事を望まないで、自分の置かれた環境の中で自分に出来ることに

                大きな愛を持って挑んでいかなければと改めて教わりました。

                言うは易し、行うは難しと言いますが、努力していきたいものですね。

                 

                | 平和 | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
                なんとか心の落ち着きを取り戻しました
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                  思い出に浸る

                  この数日私は順子先生の意志朦朧とされほとんど目をつぶられてる姿を愛をしみ、

                  付き添い、目を開けるのを手を握ったり、頭をそーとなでたりして10時半から、

                  1時半までじっと顔を見つめながら、感謝の言葉を並べていました。

                  すると目を開けて私の顔を見てくれました。すがるような目で、お姉さん目が覚めた

                  のね、12時過ぎに持ってこられた食事がそのままだったので、元気を出して少し

                  食べて見る、と聞くとうなずく、私はポタージュスープを手にしてスプーンで少しずつ

                  口に運んだ、私の顔を細い目で見ながら3分の1ぐらい口をあける、なんとか

                  のみこんでくれる、それでも約半分で目をつぶり応答が亡くなった,

                  思わず頑張ったね、耳元で囁きながら頬刷りをした、そーと手を握ると暖かい。

                  軽くさすりながら思い出話と感謝の言葉をかける、広枝も頑張るからまた花丸を

                  下さいね、言葉をかければ涙が滲みでる。4時半師は帰国の迎えが来る。

                  飛行場へ6時には行かないと気は焦る、このまま別れなければならないのか

                  4時20分迎えが来た、私はもう一度耳元でお姉さんと呼んで見た。

                  すると何と両目をしっかり開けて私を見てくれた、お姉さん広枝よわかる

                  何度もうなずいて口を曲げて泣き顔、わかるのね聞くとうなずき今まで

                  重ねたいた私の右手をしつかりと握り返す、広枝は来たようなずいて口もと

                  は動くけど言葉にはならない、しかししっかり意志を通わせ手を握りあい

                  目を見つめ合いありがとうの言葉を伝えることができた。

                  18日間お世話する中であれだけはっきり目を開けて下さった事はなかった

                  3分間ぐらい、しかし私には長く感じ、ありがとうを連発し感謝の気持ちをつたえ

                  るとす―と力が抜けた。迎えの人の前で頬刷りをして別れを告げ帰国した。

                  それから8日目天国へ両親のもとへ昇天、葬儀は火曜日行われた

                  今朝オーストラリアで最後の別れの思い出に浸りながらこれを書きました。

                  もう順子先生は天国、私が生まれて初めて母に等しい愛情を感じ尊敬の念から

                  お姉さんと呼ばせてもらい10年間手取り足とりの言葉道理文字の世界、

                  文章の世界へ、もちろん70才の私にパソコンを教えスカイプで毎日

                  1時間も長い時は数時間にわたり息子さんに叱られながらも指導して下さった

                  この恩返しは私が文字の世界で生き抜く事です。

                  ヒロシマから世界へ世代を超えて順子先生の意志を引き継いで行くことを

                  ここに誓います。感謝

                  | 平和 | 12:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
                  今日は市長さんと子供たちを会わせます。
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                    新プロジェクトのメンバーの紹介と、御霊えの誓いの本の完成報告します。

                    市長さんの激励をもらえば子どもたちのパワーアップにつながると思うし

                    きっと次世代の若者中心で日英併記の本を作成し今までのように,小、中、高

                    図書館、公民館、だけでなく8,6に国内外から来られる方々や平和公園に

                    訪れる観光客、平和学習に来る学校などに配布出来、広島から世界へ、

                    若者の発信する言葉が世界に届く日を期待しその第一歩を踏み出すために

                    市長さんに報告とこの若者たちを励ましていただくために行ってきます。

                    後で写真を紹介します。

                    参加者は教員、大学生、高校生数名、小学生、被爆者数名、一般、計9名です。

                    | 平和 | 09:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
                    鶴の恩返し私に何ができるか
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                      昔話にも恩を受けたら返すと言いますよね。

                      私は70歳に出逢ったオーストラリア―在住の被爆者森本順子先生に出逢い、

                      文字の大切さを教えられ、中学もまともに出ていない私に8000キロも離れた

                      シドニーからパソコンを進め指導し、メールのやり取り感じがわからず

                      とんでもない文字文字の変換が出てきてそれが間違いの区別がつかず、

                      叱られながら何年かかっただろう、今も返還で複数出てくると正しい漢字が

                      わからないことがある。

                      すると本を読みなさい、本を読みなさいと繰り返され、私はそれを忙しいのに

                      かまけて実践できなかった、

                      その森本順子先生が脳全体に癌細胞が広がり、まるで子供のようになられ

                      電話の会話もままならない。

                      生きて意識のあるうちにしっかり感謝の気持ちを伝え、被爆者として、

                      尊敬してやまない順子先生の、あとをしっかり受け継いでいく、約束をしたい

                      一心で私は26日お昼の新幹線で東京経由でシドニーに13日まで行ってきます。

                      帰ったらすぐに、新イベントの結成式、「第29回広島市民平和の集い」を

                      開催します。ヒロシマの心を世界へ文字で残して行くことが、恩返しであり

                      被爆者の後輩としての使命でもあると信じ、ぶれないで若い世代の学生たちと

                      力を合わせ継承、継続の道を歩みます。道なき道を希望の光に向けて:::

                       

                       

                       

                      | 平和 | 10:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
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